Ishinhome Blog
イシンホーム岡山 ブログ
2019/07/1
皆さんはどう思いますか?
皆さんお久しぶりです。城東展示場黒岡です。
皆さんは下記のブログを読んでどう思われるでしょうか?
植松 努さんのブログより
「1人で死んでください」という意見に対する、
様々な意見が話題になっています。
みんなそれぞれ、いろんな意見があるようです。
僕は、この話題について、こう考えます。
「死を願うな」
です。
犯人に対して、「1人で死んでくれ」と願うのではなく、
本当なら、「人を殺さないでくれ」と願うべきだと思います。
ついでに、「死なないでくれ」と願うべきではないかなと思います。
都会では、人身事故で電車がよく止まります。
そのたびに、周囲の人達がいらつきながら、
「電車で死ぬなよ。迷惑にならないところで死ね。」と言っています。
そうじゃなくて、「死なないでくれ」と願ってもいいのではないかなと思います。
僕は子どもの頃、ちょっと変わっていたと思います。
だから、学校の先生とうまくいきませんでした。
ある日、先生が家にやってきました。
先生は母さんと話をしています。
母さんは泣いています。
先生の声は大きくて強いから、僕にも聞こえました。
「あの子は、おかしいから迷惑だ!」と怒っていました。
「そうか。僕のせいで、母さんが怒られて、母さんが泣くのか・・・」と思いました。
でも、僕には、どうしようもないです。
「なんで生まれてきてしまったんだろう」と、泣くしかなかったです。
でも、そんな僕が、いまでは、会社を作って、ロケット飛ばしたりしています。
そうなることを、当時の僕は、想像していませんでした。
もちろん、当時の担任の先生も、僕がこうなるとは、想像していません。
もちろん、母さんも、僕がこうなるとは、想像していません。
だれにも、未来はわかりません。
でも、わかってることが1つだけあります。
すべての人に、すばらしい可能性があります。
その人自身が奇跡を起こす可能性もあるし、
その人が関わった誰かが奇跡を起こす可能性もあります。
その奇跡は、その人がいないと起きなかった可能性があります。
人には、誰も予想もできないような奇跡の可能性が詰まっています。
だから、人の命は大切です。
だから、人を殺してはいけません。
でも、日本では、テレビのバラエティ番組でも、平然と「死ね」という言葉が使われます。
芸能人が、笑いながら「死ね」と言います。「いっぺん死んでこい」といいます。
だから、子ども達も、軽々と「死ね」を使います。
「氏ね」という表現をすることもあります。
僕は、これは本当に恐ろしくて、悲しい事だと思っています。
「1人で死んでくれ」というのは、犯人の死を願うことです。
それは、他人の死を願った犯人の思考と、そんなに変わらない気がします。
大事なことは、「死を願うな」だと思います。
他人の死も、自分の死も、願わない方がいいです。
私は、その通りだなと思います。また今目の前にある苦悩は未来の笑顔だと信じています。